『愛人』
『愛人』マルグリット・デュラス 河出文庫
某所でまた本の紹介をさせて頂くことになり、お薦め図書を探さなきゃいけなくて再読。
私、「私は好き」という本は多いけれど、「お薦め」という本は全くといって良いほどない。
それは漫画も、音楽も、アニメも、食べ物のお店もみな同じ。
同様にこのブログで書いているそれらも決してお薦めしたいわけではなく、「俺は好き」ということと、後で読み直したとき用の備忘録としての意味合いが強い。
以前、1度、いわゆるamazonのような「☆」で採点、というのも試みたんだけど、自分が評価することの胡散臭さに辟易してやめたことがある。
結局、自分にとってどうだったか、ということは書けても客観的に評価することはできない。
自分が面白いと思っていても相手が面白いと思ってくれるかどうかもわからない。私の面白さのポイントは結構人とずれている気がするし。だから人には薦めない。
そんな自分が薦めることのできる数少ない本がこの1冊。
といってもその理由は、最初にこの本を面白いと感じたのは私ではなかったという情けない理由なんだけど。その人が薦めた本は他に松浦理恵子の『ナチュラル・ウーマン』や最近では宮本輝なんかもあるんだけど、松浦理恵子は私はそんなに良いとは思えなかったし、宮本輝は忙しさにかまけてまだ読めていないので、評価のしようも無い。
本書は、教えてくれたみるもりさんも、私も面白いと思ったし、内容には大いに問題があるにせよ、厚さも薄いし、かなり透明感のある文体なので、結構、人には薦めやすいかなあ、と思っている。得るものも何かあるんじゃないか、と思うし。
『十八歳で私は年老いた』というフレーズが印象的な本書は、主人公がインドシナに居た15歳のとき出会った華僑の青年との性と愛について語る話である。間に家族のことや15歳以降の彼女の心象風景も語られる。散漫で、場面はたびたび変わる。青年との関係は、彼が連れ込み部屋に彼女を連れていくようになってからは殆ど「あれ」だけになってしまう。語ることもあまりなく、相手の肉体をむさぼる。しかしポルノ小説にはなり得ない。あまりに彼女の表現は客観的すぎる。自分を、相手を、家族を見る目はとても冷静であり、それは「傷物」になってしまった最初の時からあまり変わらない。愛憎入り混じる家族との関係。愛を感じない「愛人」との関係。あるようで、無いようなエゴ。儚くは無いが切ない本書を読んでいてふと泣きたくなった。
印象的な最初の一節を引用する。
ある日、もう若くはないわたしなのに、とあるコンコースで、ひとりの男が寄ってきた。自己紹介をしてから、男はこう言った。「以前から存じ上げております。若いころはおきれいだったと、みなさん言いますが、お若かったときよりいまのほうが、ずっとお美しいと思ってます、それを申しあげたかった、若いころのお顔よりいまの顔のほうが私は好きです、嵐のとおりすぎたそのお顔のほうが」
登場人物も極めて少ない厚みも薄い本書は、それでいて私にとっては一種の壮大な叙事詩とも感じられるのかもしれない。
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