思ったこと。1
昨日、私の記事としては沸いているこうの史代さんの『夕凪の街、桜の国』の記事のコメント欄について考えながら、思っていたことがいくつかある。うまくまとまらなくて、コメントには書かなかったんだけど、1つ1つ整理したいなあ、と思う。
いささか危うい面もある話な上にうろ覚えなので引用もとを書けないのだが、戦争中、みんなでがんばろうという一体感があった、と読んだ。ふっと郵政民営化について争った小泉政権下の選挙を思い出した。選挙が近づいている。
この選挙は期待無き選挙だろう。自民党を負かしたいという反自民党選挙であり、民主党に期待している人ってあんまりいないのでは無いかと思う。あの郵政民営化で争った時の期待感とは明らかに違う。
で、今の政治家に何も期待できないこの感覚は短絡的な見方をすれば大政翼賛会を生む素地ができている感じがする。見栄えよく弁舌さわやかに郵政民営化に賛成か、反対か、といったわかりやすい論戦をはれば、簡単に選挙は勝てそうだ。多分、あの時の選挙の前後でもそんな警鐘を鳴らした人がたくさん居たと思う。人間はすぐ思考停止状態に陥りやすいしね。楽だし。ただ幸いにも現在の日本の自衛隊は攻性の防衛機構では無いと思うし、あまり利権も生み出せそうにはない。そう簡単には軍事的な国家は生まれにくい。よくできている。アメリカの傘もある。アメリカに拮抗する軍事力を持った国家も多分無いので、日本は何十番目かの州として、補給に励めば良い。景気が極端に上向かない限り、アメリカの貿易を脅かすほどの経済力を日本が取り戻すことも無かろうし、従ってアメリカから白い目で見られることもあまり無かろう。アメリカの傘から外れることはあまり考えにくい。つまり日本が積極的に強大な国家に総力で立ち向かおうとはしないだろう。ということで当面は日本が昔に逆戻ることは無い気もしてきた。
後は今回の衆院選後のそのまた次の衆院選時、どういうバランスになっているかが気になるところか。
短絡的な考えの上にさらに短絡的な考えを乗せた砂上の砂の楼閣というかそんな感じの話だけれど。
そういえば、2箇所でスポーツの国際試合の効能を読んだ。擬似戦争として、国家間で理屈のいらない国民の一体感を生み出せる装置としての機能について読んだ記憶がある。多分、1冊は『裸のサル』で1冊は何かビジネス書だろう。残念ながらどの国も認める最高の競技といったものは今は無いんだけど。視聴率80%以上、企業も休業、国家を挙げて応援しよう、といった勢いがあったら、なんて思うのは逆に危険か。そういえば「機動武闘伝Gガンダム」は擬似戦争であるガンダムファイトで4年間の首長国を決める話だったが、直接的に権力を奪い合う時点で擬似というより戦争そのものになっていた。
『裸のサル』で、牙や爪など強力な武器を持つ哺乳類は、致命的なけがを同族に与えないようにする屈伏の仕草が生まれた、と書かれていた。そのおかげで縄張り争いや部族内の争いにおいての死のリスクは比較的少ないという(0ではない)。
殺すな、犯すな、奪うな。さまざまな禁忌を自ら明文化しなくてはならない人間。果てはオイディプスのよう父親を殺し、母親と子を作る願望をも1つのありようとされてしまう。
いつからこの裸のサルは互いに積極的に集団で殺し合う「文化」を生み出したのだろうか。
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