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2009年8月

2009-08-31

「みさき」にて。

「みさき」にて。
鯖江市河和田のアートキャンプ。その一画で開催。
この空間はなかなかに幻想的。

『絶叫仮面』読了。

鯖江に行った日に。読みやすくほとんど時間はかからなかった。

おもしろかった。

具体的感想は、まだ発売されたばかりの本でネタバレは好ましく無いと思うので、いずれ。

2009-08-30

米粉ピザ。

米粉ピザ。
鯖江の漆の里会館の椀椀にて。
さくっとおいしい。

2009-08-29

鯖江へ。

まだ眠いです。
だって7:30京都駅集合なんで。
今から河和田アートキャンプという総勢100人以上の学生さんたちの頑張っているイベントをのぞきに一泊二日で行ってきます。

Ruwamへ行ってきた。

この夏は平日の休みを利用して、18きっぷを買って日帰りでどこか行くべえかな・・・なんぞとみるもりさんに話していたら、この間、tangoさんとみるもりさんが行かれた18きっぷの1日分の使用権を頂いてしまった。頂いた以上、どこか行かねばならない、となるとそれはそれで面倒というか。
んで、どうしようかなあ・・・とだらだらしていたある日の朝。通勤前、いつもより早く起きたので、返事をし損ねたメールを送るために起動したパソコンでネットをふらふら。
「ああ、そういえば、行きたいと思っていたRuwam、まだ行けてないなあ・・・」とはたと気がつき、営業日をチェック。休む予定の27日木曜日はどうやら開業中のご様子。
思い立って行ってみた。

Ruwam。滋賀県彦根市にある南国風カフェです。詳細は左のリンクをご参照下さい。

最初、ご出身の某大学の関係でマイミクにお誘いいただいたのは数年前。まだ私も滋賀に住んでいました。当時はカフェ開業を目指す人でした。いつの間にやらカフェを開業された氏のブログ、時々拝見させて頂いていました。「そうかあ、お店、開業されたんやなあ」と思いながら私は引越し。名前は別の場所でもちらちら拝見しながら、早数年。
ようやく行けました。お店は近江鉄道ひこね芹川から徒歩数分。いい感じの町家風の商店街の一角を占めるこのお店も町家風。店内もなかなかに手のかかった内装。
入ると左手に店主のお姿が。一応、名乗り用に名刺も携えてきたんだけど、最初に名乗っても所在が無いので出る時に名乗ろうと計画。

090827ruwammini
ロータスティと、ブルーベリーとレモンのケーキ(確か)を注文。
ロータスティはこの間行かれていたカンボジア(確か)のお土産で仕入れというにはやや少ない200gほど購入したものだそうで。ベトナムのとはちょっと味が違うそうなんだけど、ベトナムのもさほど飲んだ経験は無いので、当然味の違いはよくわからず。でも、飲みやすくておいしい。いっしょに出して頂いたクッキーの材料なんぞお聞きしたら、「パティシエさんかなんかですか?」なんて聞かれて「名乗っときゃよかった」なぞと思うも後の祭り。
このお店のケーキはアレルギーの人でも食べられるようにかなり気をつかった材料なんで、安心してそんなみなさんも来れそう。
ゆったりのんびりとひと時を過ごし、出かけに名乗って、常連さんに「最初に名乗りなさい」なぞと笑われながらもご挨拶をして出る。

念願のRuwam。正直、「味は心配していないけど、居心地の悪いお店だったらどうしよう・・・」なぞと心配しながらお邪魔したんだけど、ぜんぜんぜんぜん。すごく居心地の良いお店でした。ああ、こんなお店が近くにあったのなら入り浸るのに。
でも、かなり遠いんだけど、また行きたい。というか絶対行く。

本当に心地よいお時間、ありがとうございました。

2009-08-28

『未知の次元 呪術師ドン・ファンとの対話』

『未知の次元 呪術師ドン・ファンとの対話』
カルロス・カスタネダ 青木保監修 名谷一郎訳 講談社学術文庫

・・・なんだこりゃ?といった感じ。
宇宙人は居ないとは思うけど居てもおかしくない、という人向き?
居ない、と思っている人でも良いとは思う。
居る、と思っている人には刺激が強すぎるかも。

現代的な一般人、カスタネダが、ネイティブアメリカンである導き手・ドン・ファンとドンヘナロに戦士としての生き方を学ぶ。
本書はシリーズ第4巻にあたるそうで、第1巻は「力の草」を利用した神秘的体験との遭遇のようで、巻を追うごとにカスタネダは欧米的な思考からドン・ファンの思考に近づいていく。第3巻から本書においては、体験そのものより、ドン・ファンの思想が描かれている・・・らしい。
そんなことをよく知らずにいきなり本書を読んだので、?の連続。
でも、力の草の描写が多い第1巻を読んでいたら嫌悪感で途中でやめていた可能性も高い。
力の草を用いない神秘的体験の連続や、思想的な描写の多い本書だからこそ読めたと思う。
「よくわからん」とは思ったんだけど、ドン・ファンの言っていることは結構興味深い。
折りしも読んでいた村上春樹の本で(『世界の終りと、ハードボイルド・ワンダーランド』かな?)、否定的ながらも本シリーズのことが話題になっていて、「なんだかまた、つながっている・・・」なんて思ったり。
まあ、面白いか面白くないか、といわれたらあんまり面白くない本。と思ったし、他の巻を読みたいか、と聞かれたら、あまり読みたくないと答えるけど、でも、興味深い1冊ではあった。
売るには忍びない。たぶん、本棚の肥やしになって終わりだけど。

2009-08-27

来た!

来た!
絶叫仮面。幻冬舎・吉見知子・平山けいこ

私の好きな場所。

私の好きな場所。
梅田大丸。
小さな頃、デパートといえばここだったので未だにここ以外のデパートはしっくり来ない。
今日もふらふらと軽食を取る。やたらとごついウェイターさんの丁寧な接客に感動したり。
数年前からのお知り合いがやたら自分が大丸で働いていることをひけらかすのが嫌なんだけどそれでもやはりここが好き。

ゴディバ。

ゴディバ。
この間の週末、京都の河原町通りを歩いていたらゴディバのカフェができていた。
アイスチョコは予想よりは甘さも抑え目。
また行きたいかも。

2009-08-26

政見放送。

いやじゃないんだけど、時計をつけてほしい。
時報代わりの朝のテレビなのに。

早朝ネット。

なんとなく朝早く目が醒めたので昨日、送り損ねたメールの返事を送るためにパソコンをつける。そのままネット。最近、パソコンをつけると本当に愚にもつかないネットばかりしてるなあ、と思うんだけど今日は比較的建設的…か?
朝早く起きてパソコンをする、って不健康な気もするけどなんだかさわやか。深夜にだらだらやるよりよほど私にとってはまし。
明日、行く場所決めたりとか。

2009-08-25

晩夏のかまきり

晩夏のかまきり
ちょっとぶれ気味。

この木のために働く。

この木のために働く。
なんてのも有りかな、とふと思ったり。それくらいこの木が好きな気がしてきた。
結婚せずにずっとここで働いていたらそんな気分になっていたかもしれない。

むしろ寒い。

朝の気温が20度くらい、最高気温が30度くらい。久しぶりに出勤する段に半袖夏休み仕様だと軽く寒い。
もう夏も終わりだね。

2009-08-24

ゆおさん、よへさん、きょこさんと。

みるもりさんとともにお誘いいただいて土曜日は川端二条のお店「料理処はな」へ。
小さくて、店員さんも愛想が良くてとてもよいお店でした。器もきれいで料理もおいしい。
和風なんだけど、パスタがあったり。でもこのパスタもおいしい。牛蒡と・・・何かのパスタ。何だっけ?蓮根とかの掻き揚げや、さんまのたたき。あと・・・何を食べたっけなあ?いっぱい。よへさんが23日がお誕生日でケーキが出されて。このケーキもしっかりおいしいケーキでした。川沿いだから席によっては鴨川を一望。三条、四条の喧騒からも少し離れているし、落ち着いてお食事のできる良いお店です。お薦め。

その後、はしご。お茶のつもりが入ったお店は基本、酒の店だった。気がついたら終電が無い。30にもなって恥ずかしい話だが、ゆおさんとよへさんのお宅へお泊り。お2人のお宅での客あしらいが非常に玄人。「こいつらプロだ・・・」とかなんとなく思ったり。慣れてるなあ。うちではできん。
んで本棚にうず高く積まれたさまざまな蔵書。恐ろしい。これでも小まめに整理をしてはるそうで。
北欧風っぽい家具が揃うおしゃれなお宅で手際よく応対いただき、3時ごろ就寝。
翌朝は9時に起床すると既にみなさんで朝餉のお支度中。玉子焼きやら芋煮やらきょこさんのおみやげのかまぼこやら、とろろの千六本卵和えやら。お味噌汁もちゃんとかつおと昆布のだしがきいていて。
人ん家のはずなのに、完全自宅モードっぽいきょこさんの仕草にどぎまぎしたり、働きもののゆおさんのことを何のお手伝いもできないことにもどぎまぎしたり、飄々と佇むよへさんの様子にほっとしたり、ふらふらとスペインだかフランスだかが舞台で松崎しげるが日本版主題歌を歌うドラマを観たり、ファッション通信を観たり。山本耕史とかが出てる番組スイートJAMのゲストが松任谷正隆で、彼の手並み鮮やかな即興っぽいアレンジに感動したり、なんでか途中で流れた山谷ブルースを観たり。アッコにおまかせ!が終わったあたりでようやく重い腰をあげて退散。
みなさん、本当に、本当にお世話になりました。

しかし、ゆおさんは気ぃ遣いだと思っていたし、よへさんも気遣う人だなあ、と思っていたんだけど、今回、きょこさんもかなり気遣う人なんだと気づいた。今まで気づかなかった自分がおかしいのかな。

まほろば楽市。

この間、メルマガでお知らせがあったので、まほろば楽市に行ってきました。
微妙に遠いような微妙に近いような会場だったんですけどね。

福祉施設などで作ってらっしゃる商品を販売するイベントで、いろいろなところで開催されてます。
クッキー、携帯ストラップ、ハーブティーなどを買ってみたり。28日まで開催中です。

社会福祉法人わたぼうしの会-まほろば楽市

2009-08-23

『蒼天航路』の死に様、退き際。

ふっと先日、『蒼天航路』の死に様、退き際について考えていた。
何せ、『三国志演義』が原作なので、英雄がどんどん死ぬ。
その中には張譲のように寸刻みに殺されたらしい無残な死に方の人も居るし、みんなに見守られながら病で逝った郭嘉や荀攸のように比較的穏やかに死んだ人も居る。
呂布や関羽、董卓のように壮絶な死に方をした人も居る。
でもその中で妙に気になる死に方をした人も居て。

特に気になったのが周瑜。演義では諸葛亮の引き立て役のような役回りで、劉備を無力化することに積極的で、その上、毎度、諸葛亮にやられてしまう損な存在だったので、陸遜ほどの好印象を持っていなかった。しかし、『蒼天航路』での死に方はかっこいいな、と思った。一個の才が三代に渡る優れた王に仕えることのできた幸福を失う意識の中で感じながら、ひざまずき、死んでいく。当時としてもあまりに若い死であり、彼の死は孫堅、孫策の死とともに、呉にとってとても大きな損失だったのは確かだけど、でもあの死に方はかっこいいな、と思った。
そして孫堅。同様に体中を矢で貫かれながらも充実した己の生を満足しながら死んだ。
結局のところ、死んだ時にどんな思いで死ぬのか。無念な思いのまま死んでいった数多の英雄(公孫瓉あたりはそうだろう)たちの中でそういう死に方で描かれた人というのはかっこよく見える。

そして前にも書いたけど、程昱。彼の場合は満ち足りた思いで引退することができた。
輝かしい功績をたくさん残せたように見える他の軍師に比べ功績は地味だとしても、時代の中で己の役割を果たしきれた満足感。そしてその意思が明らかな形で次の代に受け継がれたことを知ったこと。死ではなく、一線から穏やかに退いた彼の姿は『蒼天航路』では異色ではあったが、かっこよかった。

劉馥。作中で生きた彼の活躍する姿は全く無かったのだが、彼が造った合肥。空き城だったこの都市に彼が施した数々の優れた政策の結果、魏における有数の大規模かつ豊かな都市が生まれた。彼の姿もかっこよい。

それらに比べると関羽の場合は、死の間際の感覚は孫堅や周瑜に近いのだけど、そこに至る戦いの壮絶さや、その後の悲惨さを思うと、素直に「すごい」と感心できないところがある。

あとは山隆。彼の場合は「かっこよい」とか「すごい」じゃないんだけど、やはり本作を読む上では忘れられない存在だよな。

などとふらふらと。

すみません、例によってオチのある話ではないんですがね。

ひねもすキョウトstyleでミヤモトシンタ氏が先日、『蒼天航路』の郭嘉の死について語っておられたことに少し偶然性を感じて嬉しかったり。

ファッション通信。

詳細はおって書きますが、昨日からよへさんゆおさん宅にお邪魔してました。
んで、朝。流されっぱなしのテレビで面白かったのがBSジャパンの資生堂提供ファッション通信という番組。日ごろファッションと縁遠い私としては、全く無縁な最新のファッション事情を垣間見えるということでまことに興味深い番組だったんだけど、
そこで、登場したTaoさんという日本人のモデルさん。美人でとても背が高い。こういうモデルさん、見惚れる。思わずオフィシャルブログを探したり、Googleで画像を検索してしまったり。
テレビでは並みいる外国人モデルさんよりも抜きん出て身長が高いように見えたけど、身長は177cmとそうでもないみたい。

昨夜のお店で。

昨夜のお店で。

2009-08-22

思ったこと。3

近代の戦争の特徴は総力戦であることと聞く。
戦場での殺し合いだけではなく、市民をも巻き込む消耗戦。いかに相手国を効率良く焦土とするか。
その結果、戦場の悲惨さよりも銃後の悲惨さに教育の場で触れる機会が多い気がする。沖縄戦には両方の意味があるが。
戦場の悲惨さを見たのは多分、ちらっとだけ見た「私は貝になりたい」くらいかと思う。
少し前に見た朝の連続テレビ小説で出征する誰かに向かい、少女が「君、死にたもうなかれ」と垂れ幕を見せたシーンは印象的だった。たまたま見ただけなのでどれほどの覚悟があったかはよく知らないのだが家族を含め、その後は大変だったろうと思う。私はああいう時には迎合し、あんなまねはできないだろうと思う。家族がその後受ける迫害を思うと一時的な衝動的行為としてはあまりにその後のダメージが大きすぎる。
お国のため、出征した人もいるだろう。中には出征を拒否することで自分や家族が受ける被害を恐れた人もいると思う。そもそもが選択の余地もなかったのだろうと思う。

少し前のドラマで大泉洋主演の戦地ものがあった。戦うことを拒否し、捕虜になって後も、どれだけひどい目にあってでも生きることを選択しようとした話だったかと思う。

戦争に出たら死ぬかもしれない。あるいは誰かを殺すかもしれない。間違いなく、誰かの死に直面するだろう。多かれ少なかれ心に傷を負うことになる。

多くの人の心に治らぬ傷を負わせる戦争とは、何なのか。
それを「かっこよく」描く物語とは何なのか。
そしてそれを「かっこいい」と思ってしまう自分は何なのか。

いろいろな疑問が湧くところではある。

思ったこと。2

週刊少年ジャンプやサンライズのロボットアニメが好きだった自分、という括りで思い起こすと、子供の頃の空想は殺人で満ちていたな、と思う。それが「戦争」という括りか、「殺し合い」か、という違いはあるにせよ。
出所が思い出せないので安西水丸画伯か、村上春樹氏のいずれの発言だったのか自信が無いが、子供の頃にB‐29のプラモデルを買ったら母親からそれだけは作ってくれるな、と泣いて頼まれたと言っていた。横山光輝氏は鉄人28号をデザインした際にB‐29をモチーフにした、と聞いたことがある。両腕を横に広げてビルの街を飛ぶ彼の影はなんとなくB‐29を思わせる気もする。
子供と戦争という括り方をすると「機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争」を思い出さずにはいられない。中立都市に暮らす戦争ごっこの大好きな少年アルが、少年兵バーニィに出会い親友になる。しかし、都市もろとも核兵器で敵の新兵器を破壊しようと目論む上層部の作戦を知ったバーニィはアルとともに自分の武器を修理し、アルを置いて単身敵の新兵器に立ち向かう。アルは核兵器を輸送する戦艦が捕獲され、既に戦闘自体意味が無くなったことを知り、戦闘中のバーニィを止めようとするが、操縦席で聞こえないバーニィは捨て身の一撃で自分の命と引き替えに新兵器を破壊する。バーニィを殺した新兵器に乗っていたのはアルの隣に住む女性、クリスだった。終戦後の全校集会で戦争の悲惨さを語る校長先生の話を退屈そうに聞くクラスメートに混じり、アルは一人、泣き続ける。友人たちは励ます。また戦争は始まるだろうし、そしたらもっとすごいものをみんなで拾おうぜ、と。アルはその後、どんな人生を送ったのだろう?
私の好きな架空軍記もので2人の主人公がそれぞれこんなことを言っていた。「日頃、重罪の殺人が大安売りされるのが戦争である」「人命より大切なものがあると人は戦争をはじめ、命より大事なものなどない、と戦争を止める。これを繰り返してきたのだ」と。
戦争を賛美する物語は好きではない。戦争の悲惨さを間接的に伝えてくれる物語が好きだ。できる限り冷静に現実を見つめ、先を見据える。いかなる場合でも戦争は悲惨な結果を生み出す。その悲惨な結果を生み出すさまざまな「イフ」を見せてくれているのが物語では無いかと思う。そういう物語こそ、「骨太な物語」と評価され、残っていくのではなかろうか?

2009-08-20

楽天に手を出す。

前に職場の運動会賞品用に長野県産松茸を買って以来。
楽天で買い出すと本当にはまっちゃいそうで怖かったんだけど、最近は日用品も結構買うようになっちゃったので、思わずいまさらながらに手を出した。
したらシュワルツコフのシャンプーとか見つけた。他ではルベルの詰め替えすら見かけなかったので、嬉しかったり。
買ったのはルベルのシャンプー、トリートメントの詰め替え用と、ティーポット。
300円均一で買って重宝していたポットがついに割れた。買いなおしたのは400円ほどのもの。本日到着したその商品は予想以上にしっかりした感じ。うれしい。ただ送料の方が高いのは少し悲しい。

何もしない夏。

夏休みを飛び飛びで結構とってるんだけど。
本当に何もしていない。やれやれ。

2009-08-18

思ったこと。1

昨日、私の記事としては沸いているこうの史代さんの『夕凪の街、桜の国』の記事のコメント欄について考えながら、思っていたことがいくつかある。うまくまとまらなくて、コメントには書かなかったんだけど、1つ1つ整理したいなあ、と思う。

いささか危うい面もある話な上にうろ覚えなので引用もとを書けないのだが、戦争中、みんなでがんばろうという一体感があった、と読んだ。ふっと郵政民営化について争った小泉政権下の選挙を思い出した。選挙が近づいている。
この選挙は期待無き選挙だろう。自民党を負かしたいという反自民党選挙であり、民主党に期待している人ってあんまりいないのでは無いかと思う。あの郵政民営化で争った時の期待感とは明らかに違う。
で、今の政治家に何も期待できないこの感覚は短絡的な見方をすれば大政翼賛会を生む素地ができている感じがする。見栄えよく弁舌さわやかに郵政民営化に賛成か、反対か、といったわかりやすい論戦をはれば、簡単に選挙は勝てそうだ。多分、あの時の選挙の前後でもそんな警鐘を鳴らした人がたくさん居たと思う。人間はすぐ思考停止状態に陥りやすいしね。楽だし。ただ幸いにも現在の日本の自衛隊は攻性の防衛機構では無いと思うし、あまり利権も生み出せそうにはない。そう簡単には軍事的な国家は生まれにくい。よくできている。アメリカの傘もある。アメリカに拮抗する軍事力を持った国家も多分無いので、日本は何十番目かの州として、補給に励めば良い。景気が極端に上向かない限り、アメリカの貿易を脅かすほどの経済力を日本が取り戻すことも無かろうし、従ってアメリカから白い目で見られることもあまり無かろう。アメリカの傘から外れることはあまり考えにくい。つまり日本が積極的に強大な国家に総力で立ち向かおうとはしないだろう。ということで当面は日本が昔に逆戻ることは無い気もしてきた。

後は今回の衆院選後のそのまた次の衆院選時、どういうバランスになっているかが気になるところか。

短絡的な考えの上にさらに短絡的な考えを乗せた砂上の砂の楼閣というかそんな感じの話だけれど。

そういえば、2箇所でスポーツの国際試合の効能を読んだ。擬似戦争として、国家間で理屈のいらない国民の一体感を生み出せる装置としての機能について読んだ記憶がある。多分、1冊は『裸のサル』で1冊は何かビジネス書だろう。残念ながらどの国も認める最高の競技といったものは今は無いんだけど。視聴率80%以上、企業も休業、国家を挙げて応援しよう、といった勢いがあったら、なんて思うのは逆に危険か。そういえば「機動武闘伝Gガンダム」は擬似戦争であるガンダムファイトで4年間の首長国を決める話だったが、直接的に権力を奪い合う時点で擬似というより戦争そのものになっていた。
『裸のサル』で、牙や爪など強力な武器を持つ哺乳類は、致命的なけがを同族に与えないようにする屈伏の仕草が生まれた、と書かれていた。そのおかげで縄張り争いや部族内の争いにおいての死のリスクは比較的少ないという(0ではない)。
殺すな、犯すな、奪うな。さまざまな禁忌を自ら明文化しなくてはならない人間。果てはオイディプスのよう父親を殺し、母親と子を作る願望をも1つのありようとされてしまう。
いつからこの裸のサルは互いに積極的に集団で殺し合う「文化」を生み出したのだろうか。

ぜひ読んで頂きたい。

きたいさんにお薦めいただいたこうの史代さんのページの戦争の話。
今度読もうと思ったのだが思わず読み出してしまいとまらなかった。

う~ん・・・なるほど・・・。

こうの史代 平凡倶楽部

かわいいけれど怖かった。

なんかテレビでやってて思わず観た。・・・こええ。

ハードキャンディ

2009-08-17

あちこちで。

虫が鳴いておじゃる。お盆を過ぎた途端。
季節の変わり方がとてもはっきりしているなあ。

そんでまた。

連休中に村上春樹『世界の終りと、ハードボイルド・ワンダーランド』を一気読み。鼠シリーズが好きだった初読当時、よくわからなかったのもむべなるかな。全然違うもん。当時、村上春樹といえば『風の歌を聴け』で、あれが最高に好きだった。
二つの世界が同時に流れ、近未来で、何やらやみくろとかいう怪しげな生き物が棲み、しかも出てくる女の子があっさり主人公と寝ちゃう。もう1つの世界は閉じていて暗い。
ラジオも流れず、バーも無く、ビールもビーフシチューも無く、叔父の思い出も無く、奥さんとの思い出も語られず、ビーチボーイズも流れず、もちろん鼠もいない。「これは私の読みたかった村上春樹ではない」という思いや、当時、よく読んでいた近未来SFやラブクラフトと比較してどちらに比べても描写、展開がいまいちなどと思っていた自分の気持ちもわからなくもない。
しかし『風の歌を聴け』熱も冷めた今、改めて読んでみると、良い本。私がかわいそうな気がするし、僕には他の選択肢もあった気もする。しかし、私は最後に電話もでき、それなりに気持ちよさそうな終りを迎えられた。僕は僕の周りの世界のことを理解できたからああいう結論を出せた。
それはそれで良い結論だったと思う。
『海辺のカフカ』の方が好きだけどこの本も良かった。改めてそこに気づけた。

2009-08-16

小そうじ。

さまざまな紙で埋もれていた机の周りを整理した。
過去5、6年分(就職前のアルバイトの給与明細なんかもあった)領収書やら何やらをつめこんだファイルボックスを整理した。
いらない紙は殆どがシュレッダー。
これで半日が費やされたんだけど、おかげでかなり整理されたと思う。
過去何年来の懸案が1つ片付いたのはこのお盆の大きな成果といえよう。

よくやった、俺。

2009-08-15

引き続き近所で。

引き続き近所で。
鴨そば。

かき氷。

かき氷。
近所の氷屋さんで。
やはりみぞれが好き。

2009-08-14

『夕凪の街 桜の国』

『夕凪の街 桜の国』こうの史代 双葉文庫
私は小学校の道徳の時間で日本国内における第二次大戦中の被害と部落差別の悲惨さを徹底的に教わった。
あまりに徹底的な教え方だったので、理性で「嫌い」「いけないこと」という風な形ではなく、感覚にまで染み付いている気がする。それでちゃんと私が高い倫理観を持った人間に育っていれば良いのだが、残念ながら聖人君子とはかけ離れた人間であるという自覚はある。
しかし民間人を巻き込む戦争は決してしてはならないと思うし、人間同士で差別をしてはいけない、という意識は強く持っているつもりである。といいながらも知らず知らず人を差別している気がする。それでもそれが差別的行為だと認識したら極力行わないよう努めているつもりではある。
日本国内における第二次大戦中の被害に関してもかなり意識の深いところで拒否しているため、「原爆」「ピカドン」「ピカ」「焼夷弾」「~大空襲」などの言葉は聴いただけでぞっとする。小学校の修学旅行は広島における主に平和学習を目的としたものであり、心の底から行きたくなかった。
「根」のところで拒否反応を示すきっかけは、小学校一年生の時の夏休みの映画上映会だろう。タイトルは「ピカドン」。何の予備知識も確か与えられない中でいきなりあの映像を見せられたらトラウマにもなる。しばらくの間、晴れた日の空を見るのが怖かった記憶がある。小学校で持ってくるのが許されたのが『はだしのゲン』だったわけであるが、みんななんで平気な面をしてこんな漫画が読めるんだ、と本当に不思議だった。自分で手にしたことは一度も無い。広島の修学旅行で行った平和資料館もほとんど目を閉じていた気がする。

さて、本書は被爆者でも被爆二世でもない広島出身の著者が、編集者から「ヒロシマ」について描くことを薦められて描いた一冊であるとあとがきにある。
時間軸としての原爆投下のシーンは無い。舞台は終戦後10年目と、現代(正確には42年後~59年後)の広島(と東京)である。それぞれ1人の少女を主人公としており、2人にはかなり深い関係性がある。一見ある程度傷跡が癒されたように見える広島に残る深い爪あとを描く。「うわっ」と目を背けたくなるシーンは無い。じんわりと泣きたくなる一冊だった。
みるもりさんに薦められていたのだが、正直手が出なかった。夏休みで比較的精神的にも余裕があるのでようやく手が出た。読んでよかったと思う。
後半の主人公の友だち東子が、平和資料館を出た後、吐くシーンには特に共感した。そして改めて感じたのだが、今まであの悲惨すぎる資料館を作った人々の神経をぼんやりと疑っていたのだが、きっと必死の思いで作ったんだろうな。並大抵ではない。なんとしても後世に残そうという思いの結晶があの場所なんだと今更ながらに気づく。だからといって行きたい場所ではないのだが、原爆の悲惨さがわからない世界中の人にぜひ行って頂きたいとは思う。行ってもなお、原爆が人類に必要だと思える人がいるとは思いたくない。

この本は直接原爆の悲惨さを知ることができる本ではないかもしれないけど、副読本としてぜひ1度、読んでほしいなあと思える1冊でした。本当に読んでよかったです。

2009-08-12

各駅ふらふら。

飲み会帰り。寝過ごさないよう気をつけないと。

2009-08-11

素敵な女の子がみんな、カリフォルニアガールだったらね…

風の歌を聞けの映画版の予告をyoutubeで見た。
村上春樹っぽい人が出ていてどうやら彼は鼠らしい。小指の無い女の子役らしい真行寺君枝が美人。
真行寺君枝といえば「ぎみあぶれいく」でインスマスの影に出ていたという話を思い出す。佐野史郎がノリノリで、クライマックスに読ませる本を探していて手作りのネクロノミコンを持ってきたとか。『ラブクラフト・シンドローム』で読んだのだが。
閑話休題。
ジェイ役の坂田明もいい感じ。
いささかつくりに古さを感じたけど(制作が昔なんであたりまえだ)、でも想像していたよりはおもしろそう。
この夏、TSUTAYAで借りて観てみてもいいかもしれない。

『超克の思想』

『超克の思想』岩本真一 水声社
恩師の1人。学生時代、自分が阪神ファンであることから、第二次大戦前の思想の動きに話を持っていった彼の話の組み立て方に舌を巻いた。
本書の対象は小林秀雄と中村光夫と福田恆存。
「近代の超克」という名前ばかりが先走った戦前の座談会。西欧発祥であるいわゆる「近代」を超えた、という当時の日本社会における漠然と共有された意識を象徴するようなそれは、著者によればまるで中身の無い内容だったとのこと。
そんな座談会が開かれるような浮わついた時代の中心、またははずれに居た3人はそれ以前、あるいはそれ以降、どのような思想的道のりを歩んだのか。
書いている内容は、授業で聴いた話も多く、「ああ、そんな話をされていたなあ。」ととても懐かしく私には感じられた。
今回、特に興味深かったのは福田恆存。なんだか、他の二人を語るより、一層活き活きとした文章だった気がした。ただ、頭の良い人にありがちないささか論理の先走った感じがしたのは気のせいか。
面白い面白くないは人それぞれだろうし、私はずっと授業で楽しく聴いていた内容だったので、客観的な意見は書きようもない。懐かしく楽しい1冊でした。

2009-08-10

法子さんの件。

全盛期には大して興味がなかったのだが、このところの一連のニュース、妙に追い掛けている。
ある種、ありふれた事件に過ぎない気がするし、なぜそんなに自分が興味を持つのか正直よくわからないのだが。
ともかく、何か気になる。

2009-08-09

おお、新作!

少し前にたかしまてつをさんのtt-blogスタジオ・エトセトラのページがリニューアルされたことを知り、のぞいてみたら、なんと!11年ぶりに新作が発表!!新作の内容はどうやら向山貴彦氏がかねて発表されていた内容だった。これが楽しみじゃないわけが無い。新作発売は8月29日だそうで、楽しみだ。・・・ということをず~っと書きたかったんだけど、なかなかパソコンの前で落ち着いてブログを書く余裕が無くて1週間たってしまった・・・。

でも、そういうことで、とても楽しみです。

『絶叫仮面』公式ページ

損なわれる人のこと。

本日は村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を一気読み再読。
池波正太郎の剣客商売のような短編小説ではないので、一気読みといってもそうそう一気呵成でもないんだけど。文章は流し読みで細部はすっ飛ばす。
鼠シリーズほど何度も読んではいないので、筋はあんまり覚えてない。
でも「OK、認めよう。僕はワタヤノボルを憎んでいる」といったセリフはやはり印象的だし、みるもりさんとの間でたまになんか出てくることもある。「OK、認めよう。僕は○○を憎んでいる」てな感じで。ワタヤノボルは安西水丸画伯の本名だったと記憶しているのだが、ひどいよね。画伯には罪は無いのに、この本を読むと坊主憎けりゃの世界で画伯まで憎らしく思えなくも無く。
皮剥ぎボリスやジョニーウォーカーのようなただ暴力的だったり、なんだか分からなくも無い理由(権力欲とか、愛する人への歪んだ思いとか)で暴力をふるう人というのも村上春樹の小説に出てくるが、『羊をめぐる冒険』の星付き羊とか、本作のワタヤノボルといった存在自体が歪んでいて周りを大いに損なう存在という「巨悪」というのはそういった「小物」とはちょっと違った怖さがある。全然、中身は記憶に無いのだけど氏が翻訳された『心臓を貫かれて』にも一族に受け継がれてしまったような気がする「歪み」が確か描かれていた気がする。
ああいうオチで良いのかどうかはよくわからないけど、「えっ?」といった感じでもないし、氏の作品では典型的な利発だけれど社会とはいささかずれてしまった少女が救いとなるのもそれはそれで良しというか。
連休最終日に読む本としてはそれなりに良かった気がする。

2009-08-08

途中で卵ものせて。

途中で卵ものせて。

おやつ。

おやつ。
買って帰った山田家さんのうどん。

2009-08-07

んでまたなんとなく。

んでまたなんとなく。

夕食は。

夕食は。
中の島グリルで。
いささか食べ過ぎ飲み過ぎた。

個展へ。

田中洋喜氏の個展へ。
本町の小さなギャラリー、キュービックギャラリー。作品は10点ほど。淡く描かれた人々はみな優しい感じ。

滞在時間はとても短かったんだけど、とても癒された。

また、なんとなく。

また、なんとなく。

また今日もなんとなく。

また今日もなんとなく。

2009-08-06

些細なこと。

1.My Favorite Thingsと古畑任三郎の出だしって少し似ている気がする。
2.『裸のサル』の作者デズモンド・モリスって、オブラディ・オブラダに出てきそう。

『裸のサル』

『裸のサル 動物学的人間像』デズモンド・モリス 日高敏高・訳 角川文庫

shibataさんにお薦め頂いたこの分野の古典。
私も名前は知っていたんだけど、読む機会も無く。
今回、行動心理学の入門書を読むことを通じ、shibataさんにお薦め頂く機会を得たのは生涯一学徒(笑)を気取るような気取っていないような自分を励ますようでなんだか面白い。
学習能力の極めて低い自分ですが、学生時代だけが学ぶ時間じゃないなあ、と感動する。
こうやってブログを通じてさまざまな方からいろいろなものをお薦め頂き、手を出す機会の容易なものから手を伸ばす。読んだ後は急速に記憶が薄れるんだけどそれでも血となり骨となる部分が各出会いの中で1/1000くらいはあるのではないかと思うわけで、無駄な出会いはきっとないと思う。
今回もshibataさん、ありがとうございます。面白かったです。

さて、本書は人間を「人」として捉えるのではなく、「裸の猿」という動物として捉え、他の動物との共通性、異質性についてできる限り客観的に評価し、その生態を分析する、という本。各章は起源、セックス、育児、探索などの章立てとなっている。みるもりさんには「そお?」と首を傾げられたんだけど、セックスの章はなまじ分析対象が人間なんでかなり描写が生々しい感じがして困った。ちょっと電車で読むのがためらわれた。第八章の『動物たち』という内容はあまり意義を面白さが私には伝わってこなかったし、あの陽気な表紙はなんだかチープすぎて頂けなかったが、でも全体としてとても楽しく読ませて頂いた。

shibataさん、本当にありがとうございました!

2009-08-05

歌う駐車員。

近所に私設の駐車場がいくつかある。そのうちの1件は外国人の若い男性がいつも居る。なかなかに優しげですれ違う時に挨拶してくれることもある。その駐車場に今日はすらりとした日本人離れした感じのご婦人もおられる。
近づくにつれ、ミュージカルかオペラのような歌声が聞こえる。
なんだろうと思ったらそのご婦人が見事な声で歌ってらっしゃる。
ポップスな感じじゃないんですよ。なんともちゃんとした発声で。

なんだったのだろうか、あれは。

月はいつもそこにある?

『あたしんち』でみかんが確か、休みで1人の時の自分は袖の役者か、不定形の生き物のようだと言っていたが、他者が認識していないときの自分をどう認識するかという問いは子供の頃にテレビで解説されているのを観た量子力学における電子雲のようだとふと思う。観測していない時は雲のようで観測した時だけ一点にある電子。場所は確率でしか予測できない。アインシュタインはそれを直感的に否定した。「私が見ていないと月は存在しないのでしょうか?」彼の問いだ。彼はこう断言した。「月はいつもそこにある」と。この思考実験がいわゆる「シュレディンガーの猫」である。毒薬の入った瓶。それを破壊するためのハンマー。ハンマーを振り下ろす装置と、そして猫。蓋をされた箱の外で観測者はいつ装置が作動し、猫が死ぬかはわからない。箱の中で猫の生と死は同居している。
アインシュタインの「月はいつもそこにある」は機動新世紀ガンダムXの最終話タイトルであり、その対比した言葉が第1話タイトル「月は出ているか?」である。最終話タイトルを聞いた時は思わず震えた。
物理学における「月」はとても不安定な存在であり、これは作中の「ニュータイプ」をも思わせる。作中で存在を認識されていた「ニュータイプ」など存在しなかった。しかし、月はいつもそこにあり、僕らもまた生き続けている。そういうことだろう。

さて、2月から続いていた繁忙期もようやく一段落し、休みの日も確保できるようになった。酷いときに比べればプレッシャーも減り、幾分かの余裕も生まれたこの数日。
休みの日に何をしているか、己を顧みて愕然となった。
何もしていない。

そういやあ『あたしんち』でみかんがこんな状況について語っていたなあ、と思ってここまでつらつらと妄想が続いていたのです。ただ、それだけです。
長々とお付き合い下さった方がおられるのかどうかは謎ですが、ありがとうございます。
ちなみに今日は池波正太郎『剣客商売』を読み耽っていました。大治郎を思う三冬はエロくて良いです。

2009-08-03

晩ご飯。

晩ご飯。
つくねとアボカドサラダ。

2009-08-02

京都駅でなんとなく。

京都駅でなんとなく。

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