若者の死には、その者の生きるはずだった生を惜しむ。
予告された死があり、予期せぬ死がある。
予告された死にはその覚悟を得る時間が与えられるが、嘆き、苦しむ時間も
長く付与される。
たとえ、覚悟ができているつもりであれ、やはりその死の辛さを和らげてはくれない。
当事者になることのできない人間も、当事者である人間と親しいのなら、
その場に居合わせたとき、悲しむことができる。
だが、その悲しみは所詮、間接的な重さで、当事者とは比較にならない。
それがまた、そのものを悲しくさせる。
というもろもろを先週、木曜日から土曜日にかけて知った。
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なるほど、先週の未定の埼玉行きはそーいう事でしたか。
投稿: たこすけ | 2007-10-01 01:03
そうなんですよ。
なんだか毎年、どなたか亡くなっている・・・。
去年は2人見送りましたが・・・。
投稿: sheep | 2007-10-01 22:45