『二百十日・野分』
夏目漱石・新潮文庫
なんだか休みの度に夏目さんに手を出してみる。
まあ、そういうのがいいんじゃないかと、思うこのごろ。
今回も、桂へ行く道中、混んでいる京阪電車の特急を避け、のんびり各駅停車で
大西順子を聴きながら夏目さんを読み耽る時間は思いのほか癒された。
私、不良少年だったので、夏目漱石の代表作をぜんぜん読んだ記憶がない。
『坊ちゃん』にしても、『我輩は猫である』にしても恐らく読んではいない。
夏目さんに興味をもったのは、前にも書いたけど、学生時代の恩師の一人が、
「近現代の日本作家で、文体に真剣に取り組んだのは夏目漱石と村上春樹」と
話していて、1回、夏目漱石を読んでみようと思ったのがきっかけである。
当時、『草枕』なんぞ読んで満足していたのが、ここにきて読めそうなときに
少しずつでも読んでみようと、ふと思った次第。
さて、今回の本。
夏目さんというと、他愛のないテーマか、私小説のようなテーマか随想を
主たる作品とする人と思っていたので、本作は度肝を抜かれた。特に野分。
発表時期にずいぶんと差があるし、文体もずいぶん異なるしで、なぜこの2作が
いっしょになっているのか疑問があったのだが、読んでいて納得。
この2作は並べて読むと価値が二倍になった気がする。
なんということもないのだが、ふと大江健三郎の短編集『見るまえに跳べ』を
思い出した。高柳が白井に己の過去を語るシーンや、クライマックスが特に。
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