アメリカの鱒釣り
リチャード・ブローティガン 藤本和子訳 新潮文庫。
読了。帯は柴田元幸さんで、「藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』は
翻訳史上の革命的事件だった。」という文面に惹かれる。
表紙の怪しい老夫婦にも。
柴田さんのコメントの下には
「世界で200万部のベストセラー。
魔法のように美しい
ブローティガンの最高傑作ついに文庫化!」ともある。
読んでみた。
・・・判断に困る箇所が多々。全47篇なのだが、すんなり入れる
ものもあれば最後まで「?」というものも。多分、「?」は「?」のままで
よいのだと思う。わからせようとか、何か深い意味をもたせようとかではなく
心象的な、イメージ的な内容なので、何度か読んでいるうちにどこかで、
納得できることもあるのだろう。
柴田元幸氏の解説の中で帯の文のあとに「この後に登場するアメリカ文学の
名翻訳者村上春樹の翻訳にしても-そして個々の言葉や比喩の使い方といった
次元で考えれば、作家村上春樹の作品でさえ-『アメリカの鱒釣り』をはじめと
する藤本和子の訳業抜きでは考えられない。」とあった。いわれてみるとそうかも
しれない。果たして村上春樹氏がこの本を読んでいたかどうか、これは氏と仲の
よい柴田氏が言うのだからその可能性は高いのだが、たしかに村上春樹の小説
の雰囲気とどことなく似たものがこの本にはあった。もしも村上春樹の前にこの本
を読んでいたらまた、私の読後感も変わっていたかもしれない。
この本で今のところ私が気に入っているのはこの5話。
「クリーヴランド建造物取壊し会社」
「ヘイマン・クリークに鱒がのぼってきた最後の年のこと」
「墓場の鱒釣り」
「Sea,Sea Rider」
「<アメリカの鱒釣りちんちくりん>に関する最終記述」
ロバート・フルガムもそうなんだけど、アメリカの短編作家の書くもので私の好きな
作品の印象はどれも似ているような気がする。印象?空気?そんなところが。
フルガムはエッセイだけど、まあ本書もエッセイなんだか、小説なんだか詩なんだか
よくわからん。穏やかになれるのは間違いない。
人にはお薦めできないけど俺は好き的な本がまた1冊、本棚に増えた。
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